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大きな波 2 [読書]

オシロイバナ ピンク.jpg
オシロイバナ 7月21日午後5時半撮影。

ピカピカの新本であったために、読む羽目になった
『THE GREAT WAVE』という本は、
日本の開国を、東洋の外れの野蛮な土人の国(日本のことだよ)が、
アメリカの黒船に脅かされ、その発達した文明への驚異から、
しぶしぶ開国して西欧文明を吸収し、あれよあれよというまに、
近代文化国家の仲間入りを果たした奇跡!


という欧米人のステレオタイプな視点を離れて、
日本を襲った大波は、同じようにしてアメリカや西欧を襲ったのだ、
互いが互いに影響しあったのだ、という見方をとっている。


そうだよなあ、人と人が出会って一方的な関係が成立するわけがない。
恋愛関係だって、夫婦関係も親子関係も、
互いが互いを影響しあって、さまざまな感情がフィードバックして、
そのつどダイナミックに揺れ動いて、その形態が刻一刻と変わる。


それが面白いんだけど、最近、それに振り回されて、
殺人や自殺という極端な行動で自分を取り戻そうとしたりする。
小説を読めば、古代から人間はそうやって成長してきたことがわかるのに、
そのカオス的状態に耐えられないで切れる。
または、そういう状態に陥るのを恐れて、人とかかわりあわない。
そりゃ、会社の営業成績を示す折線グラフのほうが分かりやすいデスヨ。
え~と、話が脱線してしまったので、戻ります、バックオーライ。


しかし、日本からはアメリカのことはよくわからない。
だから、何となく一方的な関係に見えていた。
せいぜい、浮世絵が印象派の絵画に影響を与えたんだよね、ぐらい。


わたしは学者じゃないから、そんなこと深く追求する気もないし、
関心もなかったわけだけど、日本の文化やものの考え方が、
いまのアニメやオタク文化以上に、当時の欧米社会にとって
衝撃的だったことが、この本からは伝わってくる。


恥ずかしながらわたし、
岡倉天心というひとがいまいちわからなかった。
芸大を目指したこともないし、絵を描く趣味もない。
そもそも絵が描けない。
目の色変えて、美術館めぐりをする人間でもない。
「ミロのビーナス」とか「モナリザ」とかが日本に来ても、
絶対に観に行かない。


しかし、活字中毒だから何でも読む。
絵画関係の本は、白状すると絵画よりも面白い。
はい、典型的な活字人間ですよ、わたしは。
本物の絵なんかどうでもよくて、
画家の生涯ものは、かなり読んでいる。
週刊誌の芸能人ニュースを読む感覚ね。


ところが、日本人が書いた岡倉天心ものは、
全然つまらなくて、小難しいことばかり書いてあって、
何がいいたいのか分からない。
第一、岡倉天心の書いた『茶の本』が読めない。
何度か挑戦して、さじを投げた。
茶道、表千家何年か習っていてこれです。


わたしは、日本人から脱落した部分があるみたいで、
華道の先生をしていた伯母さんがいるのに、
華道とか、茶道とかよくわからない。
分かろうとする前に必ず足がしびれて、頭がからっぽに。


で、岡倉天心ってどういうひとなの?
全然分からなかったのが、この本でよ~くわかった。
いやあ、はやく生まれすぎた魅力的な男。
アメリカ人は理解したのに、日本人には理解されなかった。
ああ、そういうことだったのかと納得がいった。


岡倉天心については、この本を読んでいただくとして、
わたしが、あっと思ったのは、
岡倉天心の浮気で生まれた息子(という説がある)九鬼周造が
アルベール・カミュが『シーシュポスの神話』を書く20年前に、
シーシュポス(シジフォス)の神話をとりあげて、
「シーシュポスは幸せなのだ」と書いていることである。


「ギリシャ人がシーシュポスの神話に地獄の苦しみを見たというのは、
私にはどうにも浅薄なことに思える。
シーシュポスは山の頂付近まで岩を運んでいくが、
結局岩は転がり落ちてしまう。そうして彼は、永遠に始めからやり直す
ことをくり返すという。これが不幸だろうか? これが罰といえるだうか?
(中略)私はそうは思わない。すべては、シーシュポスの主体的な姿勢
次第である。彼の善意、すなわち、常に新たに始める。常に岩を転がす
という確固とした意志は、このまさにくり返しの中に、道徳体系のすべて
と、その結果の幸福を見出すのである。(中略)彼は道徳的感情に突き
動かされた人間である。彼は地獄にいるのではなく、天国にいるのである」
*『グレイト・ウエイヴ』P352から引用。


著者は、九鬼周造のこの言葉を、
「カミュがシーシュポスの神話に見出したすべてが、ここにある」
と解釈する。
「課された仕事とその高貴さの不条理という考え方も、同様に含まれている。
『高みに向かって進む努力、それ自体が、人の心を満たすのに十分である』
と1913年生まれのカミュは結論づけている。
『シーシュポスは幸せなのだと想像すべきである』だが、九鬼はそれ以前にすでに、
シーシュポスは幸せなのだと想像していた。」
*『グレイト・ウエイヴ』P352~P353から引用。


というわけで、これはちょっと気になる本になったのだった。


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